作成者別アーカイブ: wistaria42335

1、2、3、そして8と30

八月十五日、日本は69回目の終戦記念日を迎える。「宣戦を宣告するのは老人だが、戦死しなければならないのは青年である」ハーバート・フーバーの言葉である。yjimage[6]そして終戦記念日を遡ること数日、8月6日は広島の、8月9日は長崎の原爆忌である。世界文化遺産の候補にも挙がった「日本国憲法第9条」は大切に残したいものである。

また、昭和60年8月12日には日航機が御巣鷹の屋根に墜落し、520名の尊い命が奪われている。吹奏楽部でクラリネットを吹いていた私の高校時代の先輩も、この事故でかえらぬ人となってしまった。翌年、ご両親をお招きして、励ます会と偲ぶ会を開催したことを覚えている。

私にとって「お盆」がある8月は、一年で一番嫌な月ともいえる。さらに加筆すれば、日航機墜落から一か月前(7月13日)に弟が亡くなっているのである。先天性心疾患を患っていた弟は、東京女子医大で2度目の手術を受けた。38歳であった。ICUで体中に生命維持装置を付けられ、スパゲティー状態で亡くなったのを昨日の事のように覚えている。術前、主治医であった橋本という教授は、「手術の危険性は30%」と説明してくれた。私たちは手術の成功する70%を信じた。でも、弟は亡くなった。私はこの30という数字も、いまだに好きになれない。

「モノの始まりが1ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりが淡路島、ドロボーの始まりが石川の五右衛門ならば博打打の始まりは熊坂のチョウハン」yjimage[1]お馴染みのフーテンの寅さんこと車寅次郎の啖呵売のさわりである。私のとってブルーな8月であるが、心が和む数字の絡んだ名言集を読破したので、そのほんの一部を紹介したい。今回は「1・2・3」に関するものを・・・

「イギリスには60もの異なる宗教があるくせに、ソースはたった一種類しかない」(フランチェスコ・カラチェロ」

「恋とは、二人で一緒にバカになることである」(ポール・ヴァレリー)

ファースト・キスは、女にとって始まりの終わりに過ぎないが、男にとっては終わりの始まりである」(ヘレン・ローランド)

「結婚後も夫は変わっていないという女性は10人中わずか1人。10人に9人は変わったと答え、三人に一人は悪いほうに変わったと答えた」(ギャロップ調査会)

「人間は一匹の虫も作れないが、1ダース以上の神を作った」(ミッシェル・モンテーニュ)

「下手な外科医でも一度に一人しか傷つけないが、ダメな教師は130人をいっぺんに傷つける」(アーネスト・ボイヤー)

二人目の参加者さえいなければ、だれでも勝てる」(ジョージ・エード)

二ヶ国語を話せるバイリンガル、三ヶ国を話せるのはトライリンガル、一ヶ国語しか話せないのはアメリカ人」(英語のジョーク)

「人生のすべて次の二つから成り立っている。したいけど、できない。できるけど、したくない」(ゲーテ)

「人間にとってたった三つの事件しかない。生まれてくること。生きること。死ぬことである。生まれる時は気がつかない。死ぬときは苦しむ。そして生きている時は忘れている」(ラ・プリュイエール)

「セックスは第三者がとやかく言う問題ではない。関係者が三人いる時以外は」(作者不詳)

そして最後に、yjimageEDP6ID37

「人と人の距離を最も縮めてくれるのが、笑いである。」(ヴィクトル・ボルゲ)

「最後に笑う者は、おそらくジョークが解らなかったのだ」(マーフィーの法則)

『本質を見抜く名言集・晴山陽一著』より             伊藤 克之

 

自己紹介

今年の3月24日にケアワーカーとして入職致しました、今 隆志(こん りゅうじ)と申します。現在の仕事に就く前は、10年程サービス業に勤めておりました。その職場はお客様とのコミュニケーションを大切にしている職場でした。ご来店されるお客様img51[1]はご年配の方が多く、日常の事や仕事の事など色々な事をお客様とお話しするのが毎日楽しみでした。昔からご年配の方とお話しする事が好きで、いつかは介護の仕事に就きたいと考えておりました。去年仕事の仲間にこの話しをすると「絶対向いてるからやったほうがいいよ!」「やるなら今しかないよ!!頑張れ!!」等色々な言葉を頂き「やってみよう!!」と決断し、介護の世界へと入りました。入職当初は何もわからず不安もありましたが同じ位楽しいと思える事も沢山ありました。roujin_syokuji[1]

現在3ヶ月という短い期間ですが、色々な事を経験致しました。ある入居者様はお食事の時に、何を食べても「おいしくない」「まずい」と仰いました。ですが先輩職員の方々が、「今朝獲れた魚だからおいしいよ!」「oo産の魚だから一口食べてみて?」等色々なお声掛けを行う事により最近では「おいしい」と食べて下さいます。本当に嬉しくて笑顔になってしまいました。男性の入居者様は私が入職してすぐに手に怪我をしてしまい自分の力でご飯を食べる事ができなくなってしまいました。3ヶ月経った今でも自力でご飯は食べれませんが、自分で新聞を見たり、手を振ったり、以前よりは手も動くようになりました。あまり動かなかった足もかなり動くようになりました。最近では私の名前も覚えてくれたようで、「今さん」と呼んで下さいます。毎日色々な事がありこの仕事に就いて本当に良かったです。

まだまだ知識も、経験も浅く未熟な部分が沢山の私ですが、これからはもっと入居者様のお役に立てるように、知識、技術の向上を行ってまいります。その為に、ヘルパーの資格取得や、研修の参加等多くの事に挑戦していきます。また、ご入居者様のお名前を覚える為に、積極的にコミュニケーションを取らせて頂きたいと思います。私は体も大きくわかりやすいと思いますので、皆様も見かけたら是非話しかけて下さい!CIMG2103

「仕事は愉しく!!」という気持ちを常に持ち続け、ご入居者様にも楽しく生活して頂けるように一生懸命頑張りますので宜しくお願い致します。

ケアハウス 今 隆志

 

 

 

 

 

 

 

湘南の地平塚・真土そして今里

3日間で165万人の観光客が訪れた「第64回湘南ひらつか七夕まつり」2imageを終えた平塚の7月8日は、真夏日のように暑く、日差しも強く、痛く感ずるほどである。一方、沖縄地方には大型の台風8号が接近し、島民は大変な思いを強いられている。よく災害に見舞われる九州、沖縄、そして紀伊半島等々の人々には申し訳ないが、「ういすたりあ」がある湘南地方は、温暖で風水害の被害もほとんど発生しない土地柄である。もっとも今年の2月には珍しく大雪に見舞われた。しかも2度に亘って難儀を強いられた。しかし、この雪も北国の人に言わせれば雪が積もった範囲に入らないのかも知れない。

このような自然と気候に恵まれた湘南の地、平塚市真土(しんど)今里(いまざと)に「ういすたりあ」は存在する。近世の歴史書を紐解くと、yjimageUZ787A2N新土村(明治初年に真土と表記を改める)の南方には東西に中原道が走り、中央を南北に糟屋道が通る、家数107戸、馬7頭、荷車3台、人力車1台の農業9割、工業1割(明治9年)の薩摩芋作りが盛んな地であったといわれている。その中にあって、今里は鎌倉浄光明寺華蔵院領として寄進され、諸公事等が免除されていた土地であったそうである。

さらに歴史を遡ると、旗本・若林、旗本・本多、幕府直轄の三給の地から宝暦10年(1760年)旗本・若林領と下総佐倉藩領になっている。我家が参加している「稲荷講」のお稲荷さんの名称が「佐倉稲荷」となっているのも、このあたりに由来しているものと思われる。そして嘉永3年(1850年)10月17日から19日に佐倉藩領内で「種痘」が実施され、村民32名がこれを受けている記録が近所の家に保管されて残っている。安政3年(1856年)8月25日夜、大風雨により屋敷、雪隠、物置などの全半壊27棟、新土村等佐倉藩12ヶ村に助成金25両余、挽割麦5斗余が下されるとの記録がある。これ以外、この地は大きな災害にあっていないようである。

書物を紐解くまでもなく、富士山の宝永大噴火(1707年)、大正の関東大震災(1928年)はマスコミ等でよく取り上げられており、私たちの記憶に新しいものの、避難生活を余儀なくされるような災害の経験はない。もっとも太平洋戦争では、平塚に海火薬廠が存在していたため連合軍の空爆の標的となり、旧平塚の中心部は焦土と化したが、このB29による空爆さえ真土は免れている。本当に穏やかな、やさしい地域柄であり、ちょっと足を延ばせば鎌倉や横浜、箱根・富士山といった観光地を訪れることができる、皆様に誇れる風光明媚、温暖な風土であると思っている。

一方暗い出来事としては、私が幼いとき祖父によく聞かされた事件があったのも確かである。明治11年10月26日夜、地租改正に伴う地券発行をめぐる質地取戻しの争いに端を発し、村民20数名によって質取主・松木長右衛門一家7名が殺害される「真土事件」が起きている。

しかし、私たちは地球温暖化による異常気象が原因と思われるゲリラ豪雨、風水害、土砂崩れ、地震、竜巻等の天災にいつかは見舞われることを想定し、備えと心の準備は怠らないようにしておかなければならない。

日本歴史地名大系(平凡社)を参考に原稿を作成致しました。    伊藤 克之

 

この度、社会福祉法人則信会の現況報告書及び平成25年度法人経営状況を「全国経営者協議会」のホームページに掲載致しました。下記URLよりご覧ください。

http://www.keieikyo.gr.jp/cswm/foundationview.php?viewno=3254

上記URLで閲覧出来ない場合は大変お手数ですが、下記URLより則信会を検索して下さい。

http://www.keieikyo.gr.jp/

 

 

 

疑心(義歯ン?)暗鬼

5月35日、すなわち6月4日は、中国政府が最大級に敏感な「語」だそうである。25年前に天安門事件が起きた日であるが故である。中国では、6月4日とネットに書けば当局に削除される。監視をかわす隠語として広まったのが5月35日だったそうである。(朝日新聞・天声人語より)

わが国で6月4日といえば、昭和3年から昭和13年まで日本歯科医師会が実施していた「虫歯予防デー」が馴染み深い。41p-16この呼び名も平成25年度から厚生労働省の通達により「歯と口の健康週間」(6月4日~10日)と名称が変更された。この歯と口の健康に関する正しい知識の普及啓発、歯科疾患の予防に関する適切な習慣の定着、そして早期発見早期治療の啓蒙活動も昭和3年の「虫歯予防デー」に始まり、「護歯日」「健民ムシ歯予防運動」「口腔衛生週間」「口腔衛生強調運動」再度の「口腔衛生週間」そして「歯の衛生週間」等々多くの名称を変えてきた。これに伴って、歯科医師の業務の重心も抜歯を中心とした「外科治療」から義歯や架橋義歯(ブリッジ)等の「欠損補綴」、歯を温存する充填・被覆(インレー、クラウン)治療、そして予防・矯正・審美歯科へと移行していった。

私の学生時代のクラス担任であった押鐘教授が2千ページにも及ぶ著書「医師の性科学」の中で義歯に関して興味ある記述をしておられるので、二点ほど「歯の衛生週間」にちなんで読者にご披露させていただく。

フランスに留学中の日本人の某医学博士が、仲間と一緒に面白い所に遊びに行かれた。そしてクジ引きで当たった女性から、彼は一つの命令を受けた。それをやるのは、フランスでは女性に対するエチケットになっているのだという。仕方がないから、彼はエチケットに従ったところが、毛が鼻の穴に入ったので、大きなクシャミが出てしまった。慌てて行為をやめて見たら、女性の部分に歯が生えている。びっくりしてよく見たら、それは吹き飛んだ自分の局部義歯であったという。この話を聞いた著者はpartial denture に局部義歯という名を付けられた、歯科の先輩学者の先見の明に、全く感心した。(筆者注:欠損補綴・義歯には、主に残存歯がないときに装着する総義歯と残存歯が何本か残っているときに装着する局部義歯とがある。でも、本当かなァ~。筆者には歯科と解らん!)

 

お酌の磯千代は、まだやっと十六になったばかりだけれど、芸者家業の常道とでもいうのか、それとも親娘ほどに歳の違う旦那の斯道の教育がよろしかったからか、大柄でもあったがひどくませた妓で、そのくせ妙に可憐なところもあった。北の寒い国に生まれた磯千代は、酒もかなり強かったがこんなところで遊ぶ男達にはかなわなかった。酔った彼女は、ふらふらと立ち上がって、そっとお座敷を抜け出そうとした。

「逃げるのかい?」

「いいえ、逃げやしないわ。バルコンへ行ってちょいと頭を冷やしてくるだけ」

露台には物干し台がある。その闇の中に白いものがふわふわしていた。幽霊?そんな馬鹿なことがあるものか。洗濯物を仕舞い忘れたと思ったのが、酔っている磯千代の錯覚だった。その白いものがこちらに歩いてくる。磯千代は一時に酔いが覚めたように吃驚した。「まあ!あんただったの?」

二人は抱き合った。まだ内緒事の恋人らしい抱擁、接吻。その時何が落ちたのか、露台のコンクリートの上で変な物音がした。

「乱暴ね。何か落ちたわ。私の懐中鏡じゃないかしら?」

そんな物音だった。が、それは懐中鏡ではなかった。男の総義歯が、口から飛び出したのである。男はこの待合の板前だった。yjimageTXZQCMMP

男があわてて露台を犬のように這いまわって、その落し物を探しているのを、磯千代はぼんやりとその傍に立って・・・悲しい気持ちで見ていた。(義歯のエロティシズムかな?)                              伊藤 克之

GWでの出来事

最近は春の陽気の割には暑く感じる日が増えてきましたね。それでも朝晩は、まだ少し冷え込むというか涼しく感じます。6月に入り、そろそろ梅雨の時期ですね。私の知っている場所では蛍が飛び始めました。yjimageKFDVY2GUが、私にとっては蛍よりも4年に1度の、サッカー ワールドカップのほうが楽しみで仕方ありません。ケアハウス所属の江藤義浩です。

今回は、私の出来事というか日常の中で感じた事をご紹介したいと思います。しかし、これを読んで「常にこういった事を考えているの?」と思われるかと思いますが、決してそんな事はありませんので。

さて、本題です。少し前の休みに子供を連れて公園へ遊びに行きました。そこの公園はゴーカート等のアトラクションも少しあるのですが、賑やかな場所というよりも比較的のんびり出来る印象でした。しかし、当日行ってみたら大混雑。何故ならGW中だったのです。メジャーな場所は人混みが激しいと思い、避けたのですが予想が外れました。同じ事を考えている人も多かったようで。

満車の駐車場にどうにか入る事が出来、チケット売り場へ。ここで私の頭の中に「?」が出る出来事が。アトラクション乗り放題のチケットを購入し、入り口に向かおうとした時に、私がチケット購入した窓口の隣から「本日は大変混雑しています。乗り放題のチケットをご購入されても乗り物は1つか2つしか乗れないかもしれませんがよろしいですか?」という売り場の人の声。すると、そこで購入をしていた人は「じゃあ入場券だけで」と返答。

そんなに混んでいるのかなと、yjimageDSEQOVKA不安になりながら入場すると、確かに凄い人の数。1つのアトラクションに2時間待ちが当たり前の状態でした。有名なテーマパークなら当たり前の待ち時間でも、ここは山奥の公園なのに・・・案の定、私達はアトラクションを1つだけ楽しみ、その後は待ち時間の無い無料のアスレチックをしてきました。もし、チケットを購入する際に隣の人のような案内が聞ければ、私も入場券だけ購入したのですが。

ここで先程の私の頭の中の「?」のわけですが、チケット購入時の売り場の人のアナウンスは決められている内容なのか、たまたま隣の売り場の人は親切で言っていたのか、どちらだろう?と。親切なアナウンスがあった場合は来場者は得をして、「教えてもらって良かった」と感じますよね?でも公園の営業から考えればマイナスだと思います。逆にアナウンスがなければ、「せっかく来たのだから」と乗り放題のチケットを買われる方は、ほとんどアトラクションを楽しめず、帰宅する事になります。「あんなに混んで並ぶなら他に行ったほうが良い」と考える人もいるかもしれません。でも公園の営業では、チケットの収入が増えますよね。

その場の売り上げを考えた営業スタイルか、お客さんの立場を考えた営業スタイルか、どちらが正しいかはわかりません。

こんな話もあります。yjimageYZMKDLK8あるお蕎麦屋さんで、出前注文の際に「最近は出前が多くて人件費が掛かるから10円値上げしよう」と考えた店主と、「出前の電話をいただくのだから10円返金しよう」と考えた店主。

みなさんは、どちらの考えでしょうか?私は「お客さんの立場を考えた」事を優先したいと考えていますが、そればかりでは商売として成り立たないでしょうから難しいところですよね。

こんな日常の些細な事から色々と考えている事がありますが、決して捻くれているわけではないと自分では思っているので、お付き合いのある皆さん、これかも仲良くして下さいね。                  ケアハウス所属  江藤義浩

 

目から鱗

私の父は典型的な会社人間であった。朝六時前には家を出て、四キロ先にある駅まで自転車で向かい、私たち兄弟や母、さらには同居する自分の父や祖母までを養うために、目いっぱいの残業をこなし、夜は私が寝ついてから帰宅するような生活であった。そんな父が「肩たたき」にあい、長年勤めた会社を辞めた。

時代が昭和から平成に代る頃だったと記憶している。玄関先に植えてあった植栽・柊の剪定に没頭し始めた。伸びた幹を切り、小枝を刈り上げる作業を生業のようにいていた。しかし、翌年になると柊の高さは半分程になっていた。そして、翌々年柊根だけを残して伐採されていた。果たせるかな、あくる年にはスコップと鋸を駆使して柊の根の掘り起こしに没頭している父の姿があった。徐々に徘徊が始まったのもこの頃からであった。CIMG0764ある時は徒歩で、ある時は自転車で、結構遠くまで遠征していた。親切な人には送られて、時にはパトカーで送られて帰ってきた。電話で父の存在を知らせてきてくれた人たちに対しては、即座に受け取りに行き、平身低頭でお礼を述べて引き取った。家に囲い込むと、家の中でも昼夜逆転、徘徊始まり、トイレと冷蔵庫とを間違え、冷蔵庫を開けてその中に小便をする始末であった。晩年の父には苦労をさせられた思い、大きな声で叱った思い出しか残っていない。今のように「介護保険制度」が確立されていない時期に、母や家内は私以上に苦労をさせられていたのであろう。

「ういすたりあ」は特定施設ケアハウスである。一言で言うと「介護保険制度を必要としない、自立した高齢者が元気なうちから入所できる特別養護老人ホーム」である。現在、介護保険制度を利用して入所されていらっしゃる方の中には認知症状の相当進んだ方もおられる。CIMG0765徘徊、介護への抵抗、昼夜を問わず、ひっきりなしのナースコール、ヘルパーへの罵詈雑言等々。このような環境に耐え、献身的に介護する職員に私は、昔の至らなかった自分を恥じ、職員にただただ心の中で手を合わせ、頭を下げるのみである。

今年のGWに「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」(長尾和宏・丸尾多重子著、ブックマン社刊)を完読した。そしてかつての自分を恥じた。この本の中には「介護」ではなく「快護」をしよう、認知症は「忘れる」のでなく、「新しいことを覚えられないのだ」(近藤誠氏談),ケアマネに求められるもの、介護施設の見学ポイント、認知症薬の現状等が記載されていて、介護の現場で活躍している人の忌憚のない意見・感想に触れることができて感激をした。中でも「介護にたった一つの正解はない」『人間はボケていくとすごく素直になっていくんです。嘘や虚勢や人を騙すことをしなくなる。心が裸になって、人間の本質を見せてくれる。だから「介護とは何か?」を考えることは、実は「人間とは何か?」を考えることでもあるんです。CIMG0766「学び喜ぶ」もあれば「その人の本質に出会える喜び」もある』というフレーズには、強く心を打たれた。認知症と言われる方々への認識を新たにした次第である。

お陰さまで晩年の父に対する私の見方も変わってくれそうである。有り難い一冊であった。                伊藤 克之

お 花 見

近隣の桜の先頭を切って咲き誇っていた「ういすたりあ」の河津桜も、近くの渋田川両岸に植えられた500本のを超えるソメイヨシノにその席を譲った。CIMG0762平塚「花菜ガーデン」では、近年経験したことない大雪に耐えてきた桃、菜の花、カーネーション、水仙、チューリップ等が、心待ちしていたかのように競って咲き始めた。

しかし、南北に長い日本の「北国の春」はまだ遠い。

viagra online pfizer

白樺 青空 南風

こぶし咲くあの丘 北国の     ああ 北国の春

コブシ(辛夷)は、早春に他の木に先駆けて白い花を咲かせる、別名「田打ち桜」とも言うのだそうである。当地平塚での田打ちは5・6月ごろ行われるので、コブシの花の咲く時期と一致はしないが、春の遅い北国では、コブシの花の開花も、もっと遅いのであろう。

「北国の春」の歌詞はさらに続き、

季節が都会ではわからないだろうと   届いたおふくろの小さな包み

と唄っている。故郷にいるお母さんからの便りも、手紙から電話に替り、今日ではメールでのやり取りに替わっている。

ういすたりあの近くにあるマンモス団地は、独居老人、高齢者夫婦の入居率が高く、したがって、高齢化率が著しく高い。団地に住むある独居のお年寄りは、おふくろからの小包ならぬ息子からの宅急便を心待ちにしている。その中身は、衣類であったり、野菜であったり、レトルト食品であったりする。荷物の中には、息子の近況を知らせる手紙でも入っているのであろうか。独居生活をしているおばあちゃんは、「長男はこれを送ってくれた」「二男からはこれが届いた」と、毎日大喜びで自慢をしている。私には、この自慢話が老婆の独り身の寂しさを物語っているように思えてならない。

「便りのないのは、いい便り」と言ったのは昔のことである。高齢化日本にとっては、「孤独死」に象徴される家族の安否確認を日々怠ってはならない。CIMG0756願わくは、遠隔地にいるお子さんたちもお母さんのもとを訪れて、一緒にこの桜を楽しんでもらいたいものである。古典落語の「長屋の花見」ではないが、花見弁当の卵焼きが沢庵に、蒲鉾の代用が大根に、お茶を代用に使ったお酒が「オチャケ」になってもいいじゃありませんか。きっと湯呑の中に酒柱が立って、何か良いことがあるでしょう。

伊藤 克之

法人創立記念日 職員慰安バス旅行

各地で桜の開花情報を聞くと、春が近づいてきたと実感しますね。私のまわりでは、花粉症に悩まされている人も多いです。皆さんは、大丈夫でしょうか?私は、花粉症デビューしたような、していないような・・・そんな心配をしているケアハウス所属の江藤義浩です。

今回は、先日のFacebookでも掲載をしましたが、3/23に行われた職員慰安バス旅行について書きたいと思います。でも、その前に!法人創立記念日について少し書かせてもらいます。

当HPには「1998年春に設立」と記載されていますが、具体的には3月23日です。以前は、この日を基準とした直近の土曜日に「創立記念式典」を行っていました。式典の中で永年勤続の表彰を行うのですが、そこで終わらないのが則信会であり、ういすたりあです!今までは、式典の後にお酒を飲みながらのクイズやゲームなど賑やかな時間を過ごしていました。ですが、一昨年から、3月23日の直近の日曜日に職員慰安バス旅行を開催しています。一昨年は浅草見物・昨年は上野散策でした。突然ですが、ここで問題です!ういすたりあ職員一行は今年、どこに向かったでしょうか?答えは後程(^^)

もう一つ、創立記念日で触れておきたいことが!先ほどから「直近」と書いていますが、式典やバス旅行を行った日が3月23日に当たったのは今年が6年ぶりなんです!

さて、前置きが長くなりました。それでは、ここから3月23日当日の様子をご紹介します。

当日、まずは、参加職員がういすたりあのデイルームに集まり、永年勤続の表彰式に参加しました。今年の参加者は全員で36名!職員の他にも職員のお子さんやお孫さん!お友達など多くの方が参加してくれました。CIMG1776今年は勤続10年の職員が2名、5年の職員が1名でした。こちらが表彰の時の様子です。

表彰者には賞状と記念品が贈呈されました。その後、表彰者一人づつに一言をもらい、式典は無事に終了しました。

この後、いよいよバス旅行に出発です!!本来なら職員全員が参加したいのですが、残念ながら残って仕事をする職員もいました。

バスに全員が乗車して、まず写真撮影!この写真はFacebookに掲載しましたので、よかったら見てくださいね。当日は首都高の火災の影響もあり、ルート変更となりましたが、渋滞はなく、順調にバスは進んで行きます。車内は子供たちの楽しそうな声が響いていました。特に声が大きくなったのはこちら!!

CIMG1801途中で見えた、東京ディズニーランド!「行った事ある?」  「こないだ行ったよ!」と盛り上がっていました。ういすたりあのバス旅行でもいつか行ける日があると良いのですが。

バスに乗って、約2時間!目的地まであと少しというところで、まさかの渋滞でした。すぐ目の前に見えているのに、駐車場に並んでいる車が多く、進みませんでした。

しばらくして、ようやく到着です!!さて、今回のバス旅行の目的地は・・・・・

20131224-00010000-fashions-000-1-view

イオンモール幕張新都心!!

映画館があり、買い物も楽しめて、子供たちが遊ぶ場所もあるという、ういすたりあのバス旅行にピッタリな場所♪ 但し、今話題のスポットという事もあり、かなりの人混みでした。

到着後は各自自由行動です。それぞれが自由に楽しめたようですが、とにかく広い!!「今日だけで2万歩位は歩いた」と言う職員も。お昼ご飯を食べるのに30分近く待つグループもあれば、到着後の空いている時間に並ばず食べれた職員など、それぞれが楽しい時間を過ごせました。

あっという間の自由行動が終わりバスに乗車、ういすたりあへ。帰路も大した渋滞に遭うことなく、予定時間通りに到着しました。解散の挨拶は施設長から「みなさん、家に着くまでが遠足ですよ!」とお決まりのセリフと共に解散です。

翌日、参加職員からは「楽しかった」「行って良かった」という声が多く聞かれました。来年はどこに行くことになるか、楽しみですね!

最後に、バス旅行に行けず残ってくれた職員の皆さん、ありがとうございました!

江藤義浩

 

 

 

14 日

  viagra online overnight 14日と聞いてすぐに頭をよぎるのは、元禄15年12月の赤穂義士による吉良邸討ち入りである。古希が近くなり、こんな蜘蛛の巣の張った思考回路の頭を持つ私にも、2月14日のバレンタインデーには、いくつかのチョコレートが届いた。例年のことながら嬉しさと共に送り主には感謝している。ちなみにプレゼンターの年齢は20歳代から80歳台まで広範囲にわたっている。

 バレンタインデーの「バレンタイン」は、3世紀にローマで殉教したキリスト教徒の英語名である。3世紀当時のローマ皇帝「クラウディウス2世」は、兵士達の戦意に支障をきたすとして若者の結婚を禁じていた。バレンタインは若者たちを哀れに思い、密かに結婚させていた。皇帝はそれを知り、キリスト教からローマ国教への改宗を迫ったが、承諾しなかったため、バレンタインは投獄され、処刑された。後に勢力を増したキリスト教により聖人と認定されたバレンタインが処刑された日が2月14日である。

同じくローマでは、毎年2月14日に未婚の女性たちの名前が書かれた紙を集め、翌日に未婚の男性がその紙を引き、紙に書かれた名前の女性と付き合うといった伝統的な祭りがあった。しかし、この祭りは風紀が乱れるとしてキリスト教の聖人を奉る行事になり、約200年後に殉教した聖人バレンタインを行事の守護聖人とした。(語源由来辞典)

  日本のバレンタインデーは、主に女性が男性に愛の告白や贈り物としてチョコレートを渡す日として広まり、親しまれてきた。これは1936年に神戸モロゾフ洋菓子店が広告を出したのがきっかけで、imageWINAOEJIデパ地下にしか出店をしないという「想いを贈るMary‘s」が商業ベースに乗せ、チョコレートの売り上げ増に貢献したといわれている。

 難しい講釈はさておき、女性からプレゼントをいただくのは至福の喜びである。したがって、お返し日の3月14日、ホワイトデーのお返し品選びで悩むのも楽しみの一つである。

 

 私は結婚式での祝辞でしばしば「お裾分けのできる家庭を築いて下さい」と言わせてもらっている。その意味は、お裾分けをするにしても、されるにしても、まずは対象として親しいお付き合いをしている隣人、友人が存在しなければならない。そしてお裾分けは形のあるものだけとは限らない。善意や「心」であってもよいのである。喜びや悲しみであってもいいのである。喜びはお裾分けすることにより2倍になり、悲しみは半分になります。古典落語に出てくる長屋の住人たちは、お米やお味噌、醤油までを催促なしの貸し借りという暗黙の了解の中でお裾分けをしていました。大家さんや大工の棟梁からいただいたお菓子やお饅頭までお裾分けしておりました。

 

さらに、旅先からのお土産をお裾分けしようと思えば、多少なりとも経済的にゆとりがなければできない。このように生活にゆとりを持ち、隣人や友人を大切にするような家庭を築けるように夫婦で頑張ってほしいという意味なのである。

しかしお裾分けする「心」のない人は、いつもお裾分けをされる一方である。だんだんと「ありがとう」という言葉を忘れ、感謝の心も薄らいでいきます。このようなお付き合いは決して長くは続きません。yjimageKLWU5WSP自分の周りにはお裾分けができる人がどれだけいるだろうか? 自分には、悩みを話し、悩みを打ち明けに来る仲間がどれだけいるだろうか? 慶びや悲しみを一緒に喜び合い、分かちあってくれる真の友人がどれだけいるだろうか? こんなことを考えるにちょうど良いホワイトデーなのではないでしょうか。また、3月14日は円周率π(パイ)の日でもある。

「πとかけて、愛と説く、その心は無限に続く重要なもの」               伊藤 克之