お休み処「わびすけ」

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お 花 見

近隣の桜の先頭を切って咲き誇っていた「ういすたりあ」の河津桜も、近くの渋田川両岸に植えられた500本のを超えるソメイヨシノにその席を譲った。CIMG0762平塚「花菜ガーデン」では、近年経験したことない大雪に耐えてきた桃、菜の花、カーネーション、水仙、チューリップ等が、心待ちしていたかのように競って咲き始めた。

しかし、南北に長い日本の「北国の春」はまだ遠い。

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白樺 青空 南風

こぶし咲くあの丘 北国の     ああ 北国の春

コブシ(辛夷)は、早春に他の木に先駆けて白い花を咲かせる、別名「田打ち桜」とも言うのだそうである。当地平塚での田打ちは5・6月ごろ行われるので、コブシの花の咲く時期と一致はしないが、春の遅い北国では、コブシの花の開花も、もっと遅いのであろう。

「北国の春」の歌詞はさらに続き、

季節が都会ではわからないだろうと   届いたおふくろの小さな包み

と唄っている。故郷にいるお母さんからの便りも、手紙から電話に替り、今日ではメールでのやり取りに替わっている。

ういすたりあの近くにあるマンモス団地は、独居老人、高齢者夫婦の入居率が高く、したがって、高齢化率が著しく高い。団地に住むある独居のお年寄りは、おふくろからの小包ならぬ息子からの宅急便を心待ちにしている。その中身は、衣類であったり、野菜であったり、レトルト食品であったりする。荷物の中には、息子の近況を知らせる手紙でも入っているのであろうか。独居生活をしているおばあちゃんは、「長男はこれを送ってくれた」「二男からはこれが届いた」と、毎日大喜びで自慢をしている。私には、この自慢話が老婆の独り身の寂しさを物語っているように思えてならない。

「便りのないのは、いい便り」と言ったのは昔のことである。高齢化日本にとっては、「孤独死」に象徴される家族の安否確認を日々怠ってはならない。CIMG0756願わくは、遠隔地にいるお子さんたちもお母さんのもとを訪れて、一緒にこの桜を楽しんでもらいたいものである。古典落語の「長屋の花見」ではないが、花見弁当の卵焼きが沢庵に、蒲鉾の代用が大根に、お茶を代用に使ったお酒が「オチャケ」になってもいいじゃありませんか。きっと湯呑の中に酒柱が立って、何か良いことがあるでしょう。

伊藤 克之

14 日

  viagra online overnight 14日と聞いてすぐに頭をよぎるのは、元禄15年12月の赤穂義士による吉良邸討ち入りである。古希が近くなり、こんな蜘蛛の巣の張った思考回路の頭を持つ私にも、2月14日のバレンタインデーには、いくつかのチョコレートが届いた。例年のことながら嬉しさと共に送り主には感謝している。ちなみにプレゼンターの年齢は20歳代から80歳台まで広範囲にわたっている。

 バレンタインデーの「バレンタイン」は、3世紀にローマで殉教したキリスト教徒の英語名である。3世紀当時のローマ皇帝「クラウディウス2世」は、兵士達の戦意に支障をきたすとして若者の結婚を禁じていた。バレンタインは若者たちを哀れに思い、密かに結婚させていた。皇帝はそれを知り、キリスト教からローマ国教への改宗を迫ったが、承諾しなかったため、バレンタインは投獄され、処刑された。後に勢力を増したキリスト教により聖人と認定されたバレンタインが処刑された日が2月14日である。

同じくローマでは、毎年2月14日に未婚の女性たちの名前が書かれた紙を集め、翌日に未婚の男性がその紙を引き、紙に書かれた名前の女性と付き合うといった伝統的な祭りがあった。しかし、この祭りは風紀が乱れるとしてキリスト教の聖人を奉る行事になり、約200年後に殉教した聖人バレンタインを行事の守護聖人とした。(語源由来辞典)

  日本のバレンタインデーは、主に女性が男性に愛の告白や贈り物としてチョコレートを渡す日として広まり、親しまれてきた。これは1936年に神戸モロゾフ洋菓子店が広告を出したのがきっかけで、imageWINAOEJIデパ地下にしか出店をしないという「想いを贈るMary‘s」が商業ベースに乗せ、チョコレートの売り上げ増に貢献したといわれている。

 難しい講釈はさておき、女性からプレゼントをいただくのは至福の喜びである。したがって、お返し日の3月14日、ホワイトデーのお返し品選びで悩むのも楽しみの一つである。

 

 私は結婚式での祝辞でしばしば「お裾分けのできる家庭を築いて下さい」と言わせてもらっている。その意味は、お裾分けをするにしても、されるにしても、まずは対象として親しいお付き合いをしている隣人、友人が存在しなければならない。そしてお裾分けは形のあるものだけとは限らない。善意や「心」であってもよいのである。喜びや悲しみであってもいいのである。喜びはお裾分けすることにより2倍になり、悲しみは半分になります。古典落語に出てくる長屋の住人たちは、お米やお味噌、醤油までを催促なしの貸し借りという暗黙の了解の中でお裾分けをしていました。大家さんや大工の棟梁からいただいたお菓子やお饅頭までお裾分けしておりました。

 

さらに、旅先からのお土産をお裾分けしようと思えば、多少なりとも経済的にゆとりがなければできない。このように生活にゆとりを持ち、隣人や友人を大切にするような家庭を築けるように夫婦で頑張ってほしいという意味なのである。

しかしお裾分けする「心」のない人は、いつもお裾分けをされる一方である。だんだんと「ありがとう」という言葉を忘れ、感謝の心も薄らいでいきます。このようなお付き合いは決して長くは続きません。yjimageKLWU5WSP自分の周りにはお裾分けができる人がどれだけいるだろうか? 自分には、悩みを話し、悩みを打ち明けに来る仲間がどれだけいるだろうか? 慶びや悲しみを一緒に喜び合い、分かちあってくれる真の友人がどれだけいるだろうか? こんなことを考えるにちょうど良いホワイトデーなのではないでしょうか。また、3月14日は円周率π(パイ)の日でもある。

「πとかけて、愛と説く、その心は無限に続く重要なもの」               伊藤 克之

 

 

多機能携帯電話

 昨年12月、ニールセン社が公表した数字によるとスマートフォン(多機能携帯電話)の個人保有率は10月の時点で約33%である。前年同期から見ると10%も急伸しているらしい。この数値はメーカーの業績をも大きく左右している。勝組は市場拡大の波に乗ったソニーと東芝であり、スマホ販売が不振だった富士通とNECは苦戦を強いられていると聞く。

http://www.theessaymag.com/canada/

 一方、10万人の中高生を対象とした調査結果からは推計51万8千人の中高校生がネット依存症に罹っていると見られている。女子高校生にあっては、休日の5時間以上をスマホの使用に費やしているらしい。

 私が家内と駅ビルの中にあるレストランに入った時である。私たちに続いて、隣の席に四人の親子連れが席に着いた。ご両親に連れられた中高生とおぼしき二人の子供たちは、着席するなりスマホの画面から目を離すことなく、食事を終えて帰って行った。私は最後まで二人の子供たちの声、親子の会話を耳にすることはなかった。寒々として味気ない、静かな家族というものを垣間見ることができたようである。現代日本はどこか病んでいるように思える。アナログ人間である私は、詳しいことはわからないが、スマホにはラインというものがあるらしい。メールより早いスピードで仲間に送信が出来るとのことである。更に驚くことにはメールを送った相手がその内容を読むと、送った人のスマホには「既読」の文字が表示されるスマホのである。ここからが怖いところである。メールの受信者は直ちに返事を出さないと、既読無視と見做され人間関係に摩擦が生ずるのである。「何で返事をくれないの?」「何で返事が来ないんだ!」

 こんなことが日常茶飯事に行われると、人間たるもの四六時中肌身離さずスマホを持っていないと不安になる。おちおち夜もゆっくり寝ていられない。赤提灯に行っても、酔っ払ってはいられない。やはり現代日本はどこか病んでいる。

 「満16歳未満の者のインターネット接続可能な携帯音声通信機器の契約、購入、所持、使用を禁ず」と言った法律をつくるべく、親権者、事業者、政治家にメッセージを送り、このメッセージが反故にされないために携帯電話の中にプラスティック爆弾を仕込み、スイッチを入れるとその携帯電話が爆発するという細工をして世間を注目させた脅迫事件を扱った小説があった。(てのひらに爆弾を・黒武 洋)どこか共感を覚える小説であった。私は読み損ねてしまったが、ジャーナリストの上杉隆さんは「さらば『ツイッター』!SNSが日本を蝕む」という記事を週刊新潮に掲載されたという。便利なスマホが凶器になっており、現代人のストレスの発生原因となっている。アンダーグランドで陰口を言ってみたり、気に入らない発言者には問答無用で罵倒雑言を浴びせる匿名ユーザーが多く見られる。まさに現代IT機器は両刃の剣である。無いと情報が得られない、仕事がはかどらない。しかし悪用すると凶器化する。人間関係の希薄さや自己主張願望といった現在社会の病理を感じられなくはないが、昔「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」というCMがあった。このフレーズが新鮮に想い出されるのはスマホを持てない年よりの僻みだけであろうか?     

                                               伊藤 克之   

  雪景色              

 

              

新 春 雑 感

 新年明けましておめでとうございます。皆様におかれましてはつつがなく新しい年をお迎えのこととお喜び申し上げます。新年1

 また一つ齢を重ねてしまいました。歳をとると本当に時間の経つのが早く感じられます。20代の人は20kmで、30代の人は30kmのスピードで、そして50代の人たちは50kmの速さで人生を過ごしているとも言われています。清少納言はこんな歌を詠んでいます。「ただ過ぎに過ぎるもの 帆かける船 人の齢 春夏秋冬」 今年も充実した1年を過ごそうと思っています。

 昨年はフィリピンに瞬間風速100mという巨大台風が到来し、エジプトのカイロ郊外では100年ぶりに雪が降ったそうです。我が国では高知県の四万十市で41℃の最高気温を記録し、青森県酸ヶ湯では556cmという積雪がありました。そして伊豆大島の土砂崩れは記憶に新しいところであります。地球温暖化による異常気象とはいえ。今年は穏やかな年であって欲しいと願うばかりです。

 「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」という諺がありますが、昨今の我が国では路上で新年を迎える人や家のない人が多くいると言われています。そしてネットカフェやマンガ喫茶等の出現で、年々この現象は見えにくくなっています。また、家があっても社会と関わらず、孤独死に至る人たちが新聞やテレビを賑わせています。少子高齢化した我が国にあっては、認知症高齢者多数化も大きな社会的難問題となっています。

 天皇陛下からのお言葉に「国民皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず、世界の人々とも相携え、平和を求め、良き未来を築くために力を尽くしていくよう願っています」という一節がありました。まさに失われつつ日本国民の「思いやりの心」「福祉というものの原点」を憂いに感じられていらっしゃるのではないでしょうか。

 百人一首で光孝天皇が詠んでいます。「君がため 春野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ」

 新年の楽しみの一つに「年賀状」があります。師走の忙しいときに書く年賀状は苦しみでもありますが、その苦労を吹き飛ばしてくれるのが元旦に届けられる年賀状です。一年間、いや数年間もご無沙汰新年2をしている人たちから届けられる一通のメッセージは懐かしくもあり、貴重な心でもあります。うれしく、ありがたいものです。

 年賀状で近況報告をしてくれるもの、住所変更を知らせてくれるもの、家族の成長や新年の抱負を記してくれる人もいます。その中で特に印象に残った年賀状を、差出人に無断で、皆様にも読んでいただきたいと思います。

「昨年、孤独死が怖いので再婚しました。年甲斐もなく、と周囲から揶揄されており、メタボになりました」古希を迎えた友人からです。加藤茶やラサール石井のように若い奥様をもらったのでしょうか?お幸せに!

「素敵に生きた女性達がいました。私もそのような生き方をしてみたいと思いました。素晴らしく生きた男性達がいました。一緒に生きたかったと思います。でも、土台、無理なお話でした。ヒトの世界に、どうにもならない事は、多いけれど・・・ 時はまだある。次の扉も開けなくちゃ。夢想の扉。新しい話の始まりです」 もの凄く美人の女性からの年賀状でした。私はただひたすらに「幸多かれ」と願い、初詣で彼女の新たな出会いを祈願して参りました。

                                   伊藤 克之

 

僕は運転手

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 巷では師走の喧騒が日毎に増しています。一か月前までは「ういすたりあ」の近くにある県営横内団地メインストリートの銀杏並木も見事な黄金色の葉をつけていました。ですが、今はすっかり葉が落ちてしまい、年の瀬の寂しさを一層掻き立てています。県営横内団地は昭和43年から45年にかけて建設され、50棟1360戸の戸数を有する、神奈川県でも最大級の団地です。この団地建設の2年前、昭和41年に神奈川県では「いちょう」を「神奈川県の木」として制定しています。コピー ~ 銀杏

私は、これを記念して団地のメインストリートに数十本の銀杏の木が植樹されたのではないかと思っています。横内団地の東方に位置する入り口から西方の「みさと橋」のある外れまでは約500mの真直ぐの広い道路ですが、天気の良い寒い朝、その両側に植えられた大木の銀杏並木の中央から西側に見える秀麗富士山を望む景色は素晴らしいものです。

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 私は週に何回かデイサービスセンター利用者さんの送迎を行っていますが、この業務に携わらなければ、この銀杏並木の間から見える富士山の素晴らしい景色に出会えなかったし気づかなかったと思っています。まさに役得です。運転手としてまだ新米ですが、この仕事も奥が深くて、いつも新しいことの発見、思考錯誤の連続です。一方通行の多い道路を如何に安全に、最短距離で運行するか? 足の弱い高齢の利用者さんのために送迎車をどこに付けたら良いか? そしてそこには段差はないだろうか?

 車内にはBGMあった方が良いのかしら、しかし利用者さん同士のお喋りの邪魔にならないだろうか? 車中の温度は?

 運転中に耳にする利用者さんのお話も非常に勉強になります。「デイサービスに行くと一日が楽しい」「食事が美味しい」「ういすたりあの食事で栄養をつけている」「ういすたりあの献立に合わせて自宅の献立を考えている」等々貴重なお話をいっぱい聞くことができます。中には「今日はういすたりあに行く日だから、生ごみを出す日だね!」とか「長男は忙しくてなかなか孫の顔を見せに来てくれないけれど、次男はよく来てくれるのよ」と、垣間覗える一抹の独居の寂しさ。「こんな私でもデイサービスと医者通いで結構忙しいのよ。あそこのお医者さんの出す湿布薬は効かないけど、ここの先生の薬はよく効くよ」本当に賑やかな車中です。

 ある時、送迎車中で添乗している職員が利用者さんに向かってこんなことを言っていました。

「今日は銀杏並木と富士山が美しいですね! 皆さんの今日のイチョウ(胃腸)は大丈夫ですか?」

車中の利用者さんは「?????」

職員が可哀想なので、代わりに私が答えてあげました。

「皆さん、いイチョウし(良い調子)だそうです」           

伊藤 克之

富士山

 

一期一会

 恥ずかしながら私が歌舞伎を観劇したのは後にも先にも30年以上前の一度のみである。演台は「宗偏流忠臣蔵」だったと記憶している。内容は茶の湯の会で知り合った仲間から吉良上野介の動向を入手し、この情報から吉良邸討ち入りが決行されるストーリーであった。江戸時代の旅人はこんなことも言っていた。「馬には乗ってみよう。人には添うて見よう」

 職員を採用するとき、私は採点を60点から加算していくことにしている。格好をつけて言うならば、性善説が原点である。それ故何度か裏切られたことも経験している。しかし、騙すより騙されたほうが楽である。裏切るより裏切られたほうが心の整理がつきやすい。

 話は大きく変わるが、私は計画から完成まで、三年越しで家を建て替えた。家内と御殿場市に買物に行った帰り路のことである。東名高速の秦野・中井インターを降りて車を走らせていると、道路わきに建てられた真新しい純和風のモデルハウスが目についた。檜の香りが車の中まで届いてくるような雰囲気であった。早速、数日後の日曜日に家内を誘って見学に訪れた。これが我が家新築のスタートである。数十回の打ち合わせ、真夏の旧家の解体、秋から冬にかけての組み立ての工程の中で、秦野市にある新進建設の社長・社員との交流、ご苦労をお掛けした職人さんとの交わりができた。これも皆一期一会であり、よい思い出である。

 夏の猛暑の中、滝のような汗を流して鉄筋コンクリート造りだった旧我が家を解体してくださった職人さん、頑丈でピカピカの基礎を打ってくださった職人さん、木の香りがする木造の家を建ててくださった職人さん、そして痒いところまで手が届いた設計をしてくださった一級建築士の斉藤先生。ほとんどの人たちは、家が完成して私たちが住むようになるころには、すでに次の現場でお仕事に励まれていて、完成した我が家を見ることは滅多にない。菊私は「菊造り、菊見るときは影の人」(吉川英治)の心境であろうと常々察している。

モノを成し遂げたり、作り上げる裏側にはたくさんの人々の思いとご苦労が隠されている。私はういすたりあの職員しかり、このような出会いを大切にしたいと日頃から思っている。

 これからが本題なのですが、新進建設のホームページには家を建てた方々を取り上げる「オーナーズレポート」というページがある。ここで我が家を取り上げていただいた。ここまでは誰しもが考えることかも知れませんが、新進建設は会社のホームページから私たちが運営している「高齢者福祉施設・ういすたりあ」のホームページまで入っていけるような手順まで考えて下さっていたのである。私事で出会い、そこからお付き合いが始まった施主の仕事のPRまでしていただいて、私は大感激である。

 すると今度は今皆様がご覧になっている「ういすたりあ」のホームページを作ってくださったDoo Companyの皆さんがういすたりあの職員の投稿したブログ、フェイスブックを呼んでくださり、「いいね!」を押してくださり、友達にもPRしてくださる。ありがたいことである。28p-09

「一期一会」から得られるものは枚挙に暇がないが、モデルハウス「檜の香り」への一目惚れから、一期一会に繋がり、それが「友達の輪」に広がり、共存共栄の道が築き上げられる。人の出会いって、なんて素晴らしいことなのでしょう。

伊藤 克之

 

  ク ル ー(搭乗員・乗組員)

カレーの街・横須賀市で新たにカレーが発売された。レトルト食品の「よこすか海軍カレー」は歴史も古く、馴染みも深いが、今回発売されたカレーは「海軍カレー」というよりむしろ「海自・艦船カレー」と呼んだ方がふさわしいカレーであろう。砕氷艦「しらせ」はシーフード味、イージス艦「きりしま」はポークカレー、護衛艦「ひゅうが」はビーフカレーのレシピを提供している

http://www.bluewaterropes.com/generic/

http://reachhighershasta.com/cheap/

幸いなことに、昨年私は海上自衛隊第一護衛艦隊の護衛艦「ひゅうが」を見学することが出来た。「ひゅうが」は全長197m、排水量1万9千トンの我が国最大の護衛艦である。乗員350人と最大11機のヘリコプターを搭載することができ、最高速度30ノットで航行する。 2007年8月23日に進水し、当時の小池百合子防衛大臣が命名を行った。

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この「ひゅうが」に乗り込む若きイケメン海上自衛官とお話をすることが出来た。一旦、母港横須賀を離れると半年間、時には1年近くも艦上での生活を余儀なくされるという。出港してしまうと艦船の周りは海ばかり、毎日8時間交代の緊張する勤務をこなしていると曜日感覚がなくなってしまうという。その対策として昔の海軍然り、海上自衛隊では週に一度カレーを食べるのだそうである。護衛艦「ひゅうが」では毎週金曜日がカレーの日であり、カレーを食べた日は金曜日と理解できるのである。

出港後の艦内生活では、本来の艦上業務はもとより、自らの健康管理や人間関係における自己規制には計り知れない忍耐と努力が必要であるという。事実、彼自身も乗組員になって随分人間的に成長したと語っていた。彼らは決められた最小限の人員で、最大限の任務を遂行しなければならない。一人でも怪我をしたり病気になったりすれば、その補填は乗組員全員でカバーしなければならない。一旦洋上に出てしまえば、乗組員の補充は容易に出来ないのである。かつて私(歯科医師)とご縁のあったタンカーの船員である患者さんは、こんなことを言っておられました。「僕は時には救急医療までやらされるんですよ! 怪我人が出ると無線で陸上の医師と連絡を取りながら・・・・・」灼熱のソマリア沖で海賊に気を配りながらの任務はさぞ辛かったことと思います。

私たちが携わる介護の世界ばかりでなく、24時間、365日切れ目のない仕事に従事する人々は、まさに艦船で勤務する乗組員、飛行機に搭乗するキャビンアテンダントと同様、一致協力して仕事を遂行するクルーなのである。自分が休むとその分仲間、同僚の仕事量が増えてしまうクルーなのである。クルーの一員として仲間に迷惑を掛けないようにするには、日頃からの健康管理、謙虚な心、そして仲間を思いやる心が大切ではないでしょうか。   (伊藤 克之)

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石田施設長のご子息と一緒に記念撮影

 

 

思いやり

こんにちは、施設長の石田です。ここ何日か特に寒暖の差が激しくなっております。体調など崩されませぬようご注意ください。

 

今日は、とても嬉しいことがありましたので投稿しております。

 それは、ケアハウスに入居されているHさんからのお話…。

「今日、病院を受診した帰り道のこと、バスに乗ったらいつもより混んでいて私は一番後ろの座席に座っていたんです。そしたら、途中で白い杖をついた目の不自由な女性が乗車して来ましてね… 混んでいたのでその女性も何処に行けば良いか迷っていると、一人の男性がスッと席を立って一つだけ空いている優先席に誘導したんです。話はそれだけじゃなくて、その後女性が降車する際にボタンの場所が分からず困っていると、近寄って声を掛け、自分が降りるバス停ではないにもかかわらず、女性がバスから降車し終えるまで手を差し伸べていたんです。私(H氏)は、親切な人がいるもんだな~と感心して男性の顔を見てビックリ! 同じケアハウスに入居しているKさんだったんですよ……」 というお話を聞きました。少なからずKさんを知っている私としては、とても嬉しく、とても誇らしく、そして心温まる内容でした。

 

 ここで、私の手帳に書き留めてあった詩をご披露いたします。

 

思いやりの心っていいな                   

思いやりの心はとってもあたたか           

思いやりの心はとってもやさしい           

みんなみんな                             

いっぱいいっぱい持っているんだよ         

思いやりの心を・・・                     

誰かにその心を伝えようね                 

誰かにその心を注ごうね                   

誰かにその心を渡そうね                   

自分の心から出た思いやりの心は           

必ず自分に戻って来るんだよ               

それも何倍にもなって                     

あたたかさっていいね                     

やさしさっていいね                       

安らぎっていいね                         

人間っていいね・・・                     

 

  人によっては勇気のいることかもしれません。ですが、日常のちょっとした配慮や気遣いが、どれほど人の心を和ませるか…。人は皆、ひとりでは生きてゆけません。この詩に込められたメッセージを1人1人が心にかけて実践してゆけば、幸せな世の中に…そして、温かく素晴らしい人間関係が生まれると私は信じます。

はじめまして・・・

猛暑もようやく和らぎ、快適な秋の訪れを期待していましたら、竜巻に豪雨に台風と…災害に遭われた人達の事をテレビのニュースや新聞が大きく報道しておりました。心よりお見舞い申し上げます。

皆さんこんにちは、ういすたりあの施設長をしております石田です。この度、初めてブログというものに挑戦しています。いささか緊張してしまいますが…今後も何度か投稿しますので、よろしくお願いいたします。

さて、先月「ういすたりあ」の「らしさ」という理事長の記述に続き、私は、ういすたりあの職場環境についてチョット書かせていただきます。職場の環境は、最初から出来上がっているものではありません。そこで働く人々が、より良い職場にするために、創意工夫をして作り上げているものです。

私共ういすたりあでは、もし暗いムードが生じていたら、自ら率先して明るい挨拶や、大きな声を出すなど、さらに一歩進んだ行動を試みています。挨拶は人と人とを結び合わせる金の鎖だと思います。挨拶から心の交流が行われ、自ら進んでするという心掛けから、明るいムードが生まれます。

ある本で読んだのですが、人間には二通りのタイプがあるそうです。自分を取り巻く環境や周囲の事情を意欲的に好転していくタイプと、起きてくる諸状況や周囲に振り回され自分を見失ってしまうタイプだそうです。

周りの人が環境を変えてくれると甘えていては、いつまでたっても改善されません。自分の心の通りに環境が変わるのだと心掛け、笑顔を忘れず明るく大きな声で挨拶をし、ういすたりあに係わるすべての人が「気持良い」と感じてもらえる環境づくりをムードメーカーとなって続けて行く所存です。こんな私ですが、これからもよろしくお願いいたします。

追伸: 本日は敬老の日です。いつも生け花教室でお世話になっている中村先生より、一昨日サプライズで素敵な生花のプレゼントを頂戴しました。花を観ていると心が和みますよね・・・。1Fロビーに飾られておりますので、皆さん 是非ご覧になってください。 中村先生ありがとうございました!!

2013.9.16

 

「ういすたりあ」の「らしさ」を求めて

「ういすたりあ」の「らしさ」を求めて

伊藤 克之

「ういすたりあ」のホームページが大幅にバージョンアップされました。大きな喜びを感ずるとともに、担当を命じられた職員、友人である岡村氏が率いる会社スタッフの皆さんのご苦労に深く感謝を申し上げたいと思います。

新ホームページは施設案内ばかりではなく、私をはじめ職員の出番も多くあると思いますので、楽しんでいただくと同時に、これまで以上にご愛顧くださいますようお願い申し上げます。

最近「ういすたりあ」の「らしさ」を知りたくて職員全員にアンケートを実施いたしました。リクルート社の資料を参考にさせていただきました。仕事に関係する仕事軸、組織を評価する組織軸、職場の人間関係に着眠した人軸、給与や休暇などに関係する待遇の4つの軸に分け、各軸10問づつの計40問のなかから「ういすたりあ」の「らしさ」を表す項目を各人3個選んでもらい、集計をいたしました。軸の面から見ていただきますと、職員の42%が職場の人および人間関係を表す人軸に「ういすたりあ」らしさ、「魅力」「長所」を感じていることが判りました。次いで処遇・待遇を表す仕事軸が30%を占めていました。しかし、残念と言いますか、当然と言いますか「給与が高い」という項目を選んだ人は一人もおりませんでした。

さらに詳しく分析いたしますと、一番多く回答が寄せられた項目が「希望休がとりやすい」の13%でした。次いで「何でも気軽に相談できる」が11%、「職場に活気がある」が9%、「チームワークがいい」が9%、「専門知識や技術が身に付く」が7%の順でした。

人軸や待遇軸が高く評価を受けたことは喜ばしいことでありますが、それに比べて事業の拡大、組織の改革・改善、将来のビジョン等を表す組織軸の評価が低かったことは、経営陣に対しての評価が低かったかと考えられ、大変反省させられました。これからはもっと積極的に研鑽を重ね、組織軸での高い評価を得られるよう頑張りたいと思います。

出典源は忘れましたが、私の手帳にこんなメモ書きがありました。幸福「HAPPY」の語源は「HAPPEN」(生じる)だそうである。幸福とは生じると言う語源から来ているのだそうである。「幸福」は「生じる」ものであり、「求める」ものではない。幸福は「創造」というお友達を連れてくることでもある。

もっともっと積極的に法人運営を行い、職員全員に「幸福」を与えられる先導師になりたいと思います。なにか身につまされる格言でした。