孤独死という言葉には、明確な法的定義がないため、警察による死因統計上は変死として扱われている。したがって現在全国規模の孤独死の統計はない。一般的に「一人暮らしをしていて、誰にも看取られずに亡くなった場合」(東京新聞)、「誰にも看取られず、死亡すること。特に、一人暮らしの高齢者が自室内で死亡し、死後しばらくしてから遺体が発見されるような場合についていう」(三省堂・スーパー大辞林)と解釈されていることが多い。
孤独死の類似語に「孤立死」「独居死」「無縁死」「行旅死亡人」等がある。
『社会から「孤立」した結果、死後長期間放置されるような「孤立死」』 『一人暮らしではあっても肉親や社会との交流のある人が、心臓発作などによって誰にも看取られずに亡くなる「独居死」』 『一人孤独に亡くなり、引き取り手のない「無縁死」』 がそれである。一方、『住所、居所、もしくは氏名が知れず、かつ遺体の引き取り者なき死亡人は、行旅病人および行旅死亡人取扱法で「行旅死亡人」と規定されている』
新年・未年の松飾りがとれて間もなく、おフジさんが亡くなった。90歳であった。おフジさんは数年前に連れ合いに先立たれてしまい、三人の息子はそれぞれ独立しているため独り暮らしであった。長男は近隣市に住んでいるものの、おフジさんとは普段から交流はほとんど皆無であった。次男は東京に住んでおり、おフジさんの介護のキーパーソンとなっている。三男も隣町で一家を構えているが、愛妻を亡くし、父子家庭であった。
おフジさんは週3回のデイサービスを唯一の生きがいにしていた。「おふくろがデイサービスに行っていると俺たちも安心だ」と息子たちも言っている。「デイサービスでよくしてもらっているので、デイサービスに行くのが楽しい」と、朝のお迎えの車が来る前からソワソワする程であった。車の音がすれば「あっ、もうお迎えが来たのかしら?」と、玄関で履物を履き始めるほどであった。
そんなおフジさんが、昨年の秋頃から数段ある自宅の階段の昇降にもひどく時間がかかるようになってきた。ご自分ではご飯を炊くことが出来なくなり、近所にある郵便局にも一人では行けなくなってしまった。狭心症の持病があり、常にニトロ舌下錠を携帯していたという。でも、ご近所の協力、ボランティアの手助け、訪問ヘルパーの援助を受けて、独り身で頑張っていた。年齢の割には認知症状が出ておらず、迎車の中では亡くなったご主人と三人の息子の自慢話をするのが日課であった。
「お正月の三が日はデイサービスもないし、私は誰のところに行けばいいのかしら?」と息子や孫たちと一緒に過ごすお正月を楽しみにしていた。しかし、いつも自慢している三人の息子たちからのお誘いの声はついに掛からなかった。
おフジさんの家の異変に気付いたのは、日頃からゴミ捨てを手伝ってくれているお隣さんだった。いつも元気な声でお喋りをするおフジさんが、廊下で倒れているのを発見したのである。すぐに救急車を手配してくれた。倒れていたおフジさんの右頬には赤い痣が出来ており、身体はすでに冷たくなっていたそうである。昨日までは元気にしていた?おフジさんの突然の死であったがために、警察も出動したが、結果は急性心不全であった。
「私が介護します」「週1回は訪問します」と言っていた次男の嫁は、一度来ただけの淋しい終焉であった。この死も「独居死」なのであろうか?私は敢えて言わせてもらえば「無死(無視)」であろうと思わざるを得ない。
伊藤 克之