お休み処「わびすけ」

ブログアーカイブへ≫

お節句前の誕生日

神宮式年遷宮は20年に一度、信州・諏訪で開催される「御柱祭り」は6年に一度、五輪やワールド杯は4年に一度やってくる。優良運転手の免許更新でも5年に一度なのに、何故か私の誕生日は毎年やってくる。あッ!失礼。これは皆さんも一緒でしたね。

私は、干支が酉にあたる昭和20年3月2日生まれ、一応戦中派である。同い年には吉永小百合さん(3月13日生)がいる。私は自分の若さをPRしようと思うときは、実年齢よりずっと若く見える容貌を持っている彼女の名前を無断拝借して、「年齢は吉永小百合さんと一緒です」とPRしている。ちなみに、毎週「笑点」でお目にかかる三遊亭小遊三師匠は1947年生まれ、優木まおみさんは1980年の3月2日の生まれである。また、高知県生まれで酒豪の島崎和歌子さんも1973年の同月同日生まれである。人見知りで引っ込み思案の私は、天衣無縫、豪放磊落の彼女の性格にいつも憧れを抱いている。ただ、一点、誕生日のことで自慢できないことは、あの地下鉄サリン事件の主謀者松本智津夫こと麻原彰晃も同じ誕生日(1955年)であるということである。yjimage[3]

70歳と言えば「古希」である。古希は、杜甫の詩「曲江」の「人生七十古希なり」に由来し、そこで詠われているような古人からすれば私は大分長生きをしていると思っている還暦、喜寿、米寿といったお祝いは満年齢で行うものではなく、数えの60歳、77歳、88歳で行うものらしい。古希然りである。残念なことに家族を始め、私の周囲の人間たちは一年間私に対する古希のお祝いのイベントを知らんぷりして無視してきた。もし今年になって私が催促しても、「お祝いは数え年で行うものよ。満年齢で行うものではありません!」と恍け通すに決まっている。私は次の喜寿のお祝いの年まで、黙して語らず、我慢しようと思っている。

辛抱をすれば心の中に心棒(芯棒)ができ、さらに頑張ればそれが信望となる。と、誰かが言っていたことを思い出す。

昭和20年生まれは、干支でいうと「酉年」である。「鶏」は十二支を浸透させるために「酉」という文字を変化させたものだと言われている。

木鶏とは木彫りの鶏のように全く動じない、闘鶏における最強の状態を指す。木鶏という言葉は日本の格闘技の選手が良く使っている。横綱・双葉山は、連勝が69で止まった時に、「未だ木鶏たりえず」と語ったし、現横綱・白鵬の連勝が63で止まった時に、彼は「いまだ木鶏たりえず、だな」と述べたことは記憶に新しい。

私もこの木鶏を目標に周囲の人々を動揺させることなく、毎晩泉重千代さんが愛飲された黒糖焼酎を飲み、来るべき「喜寿」を目標に、焦らず、健康に留意して、一歩一歩精進しようと思っている。何故ならば、誕生日は3月2日であり、DSC_0478桃の節句の前日である。「節句まえ、急ぐまい」である。     伊藤 克之