歳を取ると物忘れが激しくなる。ましてや7月末から今日にかけてのように、連続猛暑日が続くと、この現象はさらに激しくなる。「まず人の名を忘れ、次に顔を忘れる。それからチャックを上げるのを忘れ、次にチャックを下すのを忘れる」
カーディナルスやドジャースのマネージャーとして米国大リーグの発展に貢献したブランチ・リッキーの名言である。
私がモノの名前を忘れなくても、モノの呼び名が変わってしまうものやモノそのものが他のモノにとってかわられたり、なくなってしまうモノが多々ある。消費者物価指数の調査品目は、現在588品目であるがこれも5年ごとに見直されている。1960年には「三種の神器」といわれたテレビ、冷蔵庫が加わり、マッチ、わら半紙が外された。1990年にはワープロ、コンタクトレンズが加わり、2000年にはカセットテープと2層式洗濯機が外れた。(神奈川新聞・照明灯)
同じ部屋をさすのに祖母は「お勝手」母は「台所」娘は「キッチン」と呼ぶ。親は「ピンポン」をしているつもりでも、子供たちは「卓球」をしているという。(早稲田大学名誉教授・中村明)これらはモノそのものではなく、時代の変化に付随した「呼称の変遷」であろう。
この暑い時期に、私が何より羨ましく思うのは、女性のミニスカート、ホットパンツ姿である。「涼しくていいだろナァー」
このホットパンツも昔は「ブルマー」「ショートパンツ」「短パン」とか呼んだのではないだろうか?「サルマタ」がいつの間にか「パンツ」「ブリーフ」「ショーツ」になり、「パンツ姿で外を歩けない」と思っていたら、いつの間にか「ズボン」が「パンツ」に代わっていた。「Gパン」も「ジーンズ」と呼ばれるようになっていた。
しかし、考えてみたら男性にも暑さ凌ぎの武器?があった。「褌・フンドシ」である。これさえも「越中ふんどし」「六尺ふんどし」があり、医療分野では「衛生帯」と呼ぶ。伝統的な祭りの行事や神輿を担ぐときなどは「締め込み」といい、相撲の世界では「まわし」と呼ぶ。
「越中フンドシ」は股間が涼しくてよい。涼しいばかりではない。「前垂れ」の部分は、用をたし、手を洗った後の「手拭き」にはもってこいである。そればかりではない。太平洋戦争末期、沖縄では住民を巻き込んだ地上戦が3か月にも及んだ。「白旗の少女」として知られる比嘉富子さんは避難先の洞窟で出会った老夫婦が作ってくれた白旗を掲げ米軍に投降する。この「白旗」こそが「フンドシを裂いて作った」ものであった。
肉親や兄を亡くし、姉妹ともはぐれ、死体だらけの川の水を飲み、一人で生きながらえてきた比嘉さんには、自分が生きていることへの良心の呵責があったという。当時沖縄では、米軍の捕虜になることを嫌い、自決や断崖絶壁からの投身自殺、肉親が肉親の命を絶つことが行われていたからである。比嘉さんに「白旗」を作ってくれた老夫婦はどうなったのであろうか・・・
伊藤 克之