五月、鯉のぼりが泳ぎ、新緑の爽やかな季節である。冒頭に野内良三先生の著書から引用した外国のジョーク「かつぎ屋」を紹介する。
-おれはどうしてこう縁起をかつぐんだろう! おれは五月五日の午前五時に生まれた。五十五歳の誕生日に五十五万五千五百五十五番の宝くじを買った。そして五百万ユーロ当たった! それからその足で競馬場に走り、五百万ユーロすべて第五レースの五番に賭けた。
-それはすごい! それでいくら儲かったんだい?
-それがすべてパーさ。おれの賭けた馬は五着ではいってきたんだよ。
湘南地方の桜はすでに葉桜と化しているが、みちのく盛岡の桜はゴールデンウイークの頃が満開である。特に盛岡検察庁庭の「石割桜」や不来方(こずかた)城址公園の桜は見事である。また、盛岡から少し離れると、さくらの名所100選に選ばれた北上展勝地がある。150種、1万本の桜が2キロにわたって咲き誇る桜並木は絢爛そのものである。子どもづれ、家族づれには小岩井農場もおすすめである。
この時期になるといつも思い出すのが、岩手・渋民公園の石碑に書かれた石川啄木の短歌である。
-やはらかに柳あおめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくにー
私はこの歌が大好きである。半世紀近く前、単身で盛岡の地に赴任し、寂しい生活を送っていたので余計心にしみたのかも知れない。また、
-不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心ー
といった歌も、すぐに覚え、いまだに忘れられない歌となっている。
-たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまずー
-はたらけどはたらけど なほわがくらし 楽にならざり じっと手を見るー
石川啄木は26歳の若さで逝ってしまったので、残されている写真は当然若い頃のものしか存在しない。が、その写真で現された端正な顔立ちに似合わず、啄木は鬼畜と呼ばれる程であったという。妻子を省みず、借金はする、女遊びも激しいもので、「石川くん=女の敵」と呼ばれる程であったらしい。しかしこんな最低男なのに、金田一京助をはじめとする良き友人たちには恵まれていた。彼のどこか憎めない純真さや可愛さが存在していたので、現代に生きる私たちの心に響く歌が詠めたのであろう。
写真におけるハンサムなところは土方歳三にも似ており、借金が上手なところは野口英世にも似ている。そして15歳の心を歌い、卒業を目の前にして中退し、26歳の若さで他界したところは尾崎豊にも似ている。
-誰にも縛られたくないと逃げ込んだ、 この夜に自由になれた気がしたー (尾崎 豊)
伊藤 克之