九月一日、今年も落合平塚市長・中村福祉部長他市の職員の皆さんが、敬老のお祝いに「ういすたりあ」を訪問してくださいました。103歳と100歳の2名の入居者の方が祝辞と記念品をいただきました。大変感激されていました。また、事前には米寿を迎えられた男性の入居者にも記念品が届き、うれしいハプニングと大喜びされていました。
言わずもがな、日本は少子高齢社会である。昔から子どもたちに親しまれている「桃太郎」や「かぐや姫」などの昔話には、いずれも高齢者が登場する。これらの深層には「不妊症」があると、産婦人科の先生は言う。「花咲爺さん」、「鶴の恩返し」然りであろう。
大阪市で産婦人科を開業されている「昇 幹夫」先生の書では、これらの昔話を違った視点から解釈している。
『鶴の恩返し』
むかし助けた鶴が、夜中にきれいな娘さんになってお礼に来た。家に入れると、
「決して開けてはいけません」と言って、戸を閉めてなにやらガサコソやっていた。二日、三日、ばったり音がしなくなった。
開けるなと言われると余計開けたくなるのが人情である。お爺さんは心配になって、四日目にガラッと戸を開けた。
さあ大変、中に置いてあった現金、預金通帳、実印などがゴッソリなくなっていた。
「婆さん! 大変だ! あれは鶴じゃなかった、鷺(詐欺・サギ)だった」
『桃太郎』(1)
お婆さんが川に洗濯に行くには、本当は嫁さがしであった。お爺さんは粗忽なので、山に芝刈りに追いやられた。川の上流から桃が流れてくるというのは、「遠くの娘さんに出会う」ということであった。お婆さんの嫁選びは、遠くの優秀な女性を見つけようという意味であった。つまり、近親結婚の弊害排除が目的であった。
お婆さんは、おめがねにかなったモモさんを連れて帰って、息子の嫁さんにした。そのモモ夫人から、立派な桃太郎が生まれたのである。
お婿さん(お婆さんの息子)はもともと控えめな人物で、俗人の目には留まらない。聖母マリア様のご主人と同様であった。因みに、聖母マリア様は、ご主人が控えめで、姿が確認できなかったため、マリア様は処女懐胎ということにされてしまったのである。
こうして生まれた桃太郎君を現代っ子的にアレンジしてみると、
犬 ― 「火曜日と木曜日は塾があるからダメ」
猿 ― 「黍団子よりハンバーグか白い恋人がいい」
雉 ― 「ポケモンを追いかけていた方が面白い」
といったようなシナリオになるのではないだろうか。
『桃太郎』(2)
桃太郎は桃から生まれたのではなく、モモとモモの間から生まれたのである。また、川上から流れてきたのは、桃ではなく、お婆さんが大好物な「イモ」であった。お婆さんはそのイモを蒸かすと、お爺さんに内緒で一人で全部食べてしまった。するとお腹が張ってきて、思わず一発大きなオナラを「ブー」とやらかしてしまった。
お爺さんは、芝を刈らずに臭かった(草刈った)。
なにはともあれ、人生、明るく陽気に生きましょう、行きましょう、往きましょう、そして逝きましょう。
伊藤 克之