お休み処「わびすけ」

ブログアーカイブへ≫

坂本竜馬と坂本龍馬

先月の生活習慣病予防検診で、古稀をとうに過ぎた私は若干の聴力低下を指摘された。「ターメリック」が認知症予防に良いと言われているので、カレーライスを食べて認知症の予防に気を使っているのに、加齢による体力低下が気になるようになってきた今日この頃である。

こんなジョークがある。まったく耳の聞こえなかった老人が、医師の指示に従って性能の良い補聴器を使い始めた。二週間後、老人はその後の経過を医師に報告しにやってきた。

ーそれで、この補聴器の使い心地は如何ですか?具合はよろしいですか?yjimageu37seciq

ーいいのなんのって! まさに奇跡です!若い時のようによく聞こえます。

ーそれではお子さんたちもさぞやお喜びでしょう。

ーえーと、実はこの補聴器のことは子どもたちには内緒にしているんです。私に聞かれているとは夢にも思わず、連中は勝手なことばかりほざいていますよ。この二週間、もう何度も遺言を書きなおした事やら!

11月15日は坂本龍馬の命日である。土佐藩の裕福な家庭に生まれ、亀山社中(後の海援隊)を結成し、徳川慶喜に大政奉還を決意させ、倒幕・明治維新に大きな影響を及ぼした、あの坂本龍馬である。多くの人は、司馬遼太郎氏の著書「竜馬がゆく」の小説で描かれた竜馬を、坂本龍馬の実像として信じ込んでいるのではないだろうか。「竜馬」は司馬遼太郎氏が生んだ人物であって、実状の「龍馬」とは少し異なっておるようである。

ヘルスプレス(さとう・ひろし氏)の記事によれば、龍馬は12~3歳の頃まで夜尿症の習癖があり、漢学の楠山塾に入学したのちも「ハナタレ」「小便タレ」と「苛められっ子」であったという。落ち着きや協調性に欠けていた龍馬は、この塾も退学を余儀なくされている。

一方、龍馬の3歳上の姉「乙女」は、身長175cm、体重100kgの「はちきん」であった。「はちきん」とは、土佐弁で「男勝りの女」をさす言葉である。龍馬は「はちきん」の姉から剣術、手裏剣、馬術、水練などを叩き込まれたという。

青年時代は江戸の千葉道場で剣道を修業し、免許皆伝となり、1862年には勝海舟の門人となった。image1その後、長崎に亀山社中を立ち上げ、五箇条のご誓文の基となった船中八策を公表し、大政奉還の献策に尽力したが、1867年(慶応3年)33歳で、中岡慎太郎とともに京都河原町の醤油商・近江屋の二階で凶刃に倒れた。

この坂本龍馬は、医学的見地から見るとADHD(注意欠如多動性障害)の兆候が顕著であったと言われている。レオナルド・ダ・ビンチ、トーマス・エジソン、ジョン・Fケネディーをはじめ、わが国でも多くの有名人にこの兆候が見られるといわれているが、龍馬もその一人であったと思われる。少年時代に楠山塾を放校になったのも、この病気が災いしているのかも知れない。

また、梅毒に罹患していたとも言われているが、この根拠には龍馬の前頭部の禿が災いしている。禿は梅毒の診断における一つの基準であるが、梅毒の場合は小さな円形の脱毛が虫食い状態にでき、不均一に髪の毛が後頭部から側頭部にかけて抜けるので、龍馬の前頭部の禿は、遺伝的な要因が高いと思われる。

肝機能障害、アルコール依存症であったという話は、龍馬が毎日1升5合もお酒を飲む酒豪であったことからも頷ける学説である。

更にマラリア罹患説も囁かれている。司馬遼太郎が「竜馬がゆく」の著書の中で、「龍馬は子供のころからマラリアの持病があり、ずっとこの病気に悩まされていた」と記されている。龍馬の日記「坂本龍馬手帳摘要」にも「持病があるので、養生のため外浜町村屋清蔵宅に宿泊。長府かなや町開業医・多原先生を受診する」とあることから、龍馬のマラリア罹患説は信憑性が高い。あながち流言飛語とは言いにくい学説であろう。

何はともあれ、九州・霧島に「おりょうさん」とハネムーンに行くなど、多くのロマンを我々に与えてくれた竜馬である。竜馬のイメージを龍馬に壊してもらいたくないと思うのは、私だけであろうか?

伊藤 克之