2020年がようやく終わり、丑年の新年がスタートをした。振り返ってみれば、2020年は中国の武漢が発生源ではないかといわれている新型コロナウイルスの伝播でスタートしたように思える。そして、このウイルスが世界中に伝染したことによって人々を震撼させ、多数の死者を出したために、人々を恐怖の底に陥れたことによる、新型コロナウイルスとの戦いの一年であったように思える。そして現在、ワクチンという人類の防御策に抵抗して、敵もさる者、変異種コロナウイルスで抵抗し、このコロナ禍は今でも増大し、世界情勢に大きな暗雲を漂わせている。
学校は休校となり、サラリーマンはテレワークとなり、休業、倒産に追いやられる店舗は増大し、リストラの憂き目にあった人々も決して少なくない。新型コロナウイルスに感染した重篤の患者を扱う医療関係者は疲弊し、医療機関は崩壊寸前の憂き目にあっている。
また、新型コロナ対策に費やされた経済出動のつけがいつ回ってくるのかも心配である。
さて、新年の明るい、夢のある話に話題を戻そう。「ういすたりあ」では、昨年のトゥオンさんに続いて二人目のベトナムからの技能実習生、ニーさんという女性が1月に入職する。すでに彼女は日本に来ているが、現在入国後の2週間の隔離期間を終えて、日本語や日本の法規、習慣、慣例さらには就業規則等の勉強を研修所で学んでいる。「デイサービスセンター・ういすたりあ」の利用者の数が増加している折、一日も早く戦力になってほしいと首を長くして待っているところである。
また、新型コロナウイルスの蔓延でいくつか中止にせざるを得なかった「ういすたりあ」の行事も、今年は是非盛大に実行したいと思っている。若干縮小されたとはいえ、東京オリンピック・パラリンピックも開催されることでもあり、規模こそ違えこれに負けずとも劣らずの意気込みで取り組みたいと思っている。
また、我田に水を引くような話題になってしまうが、今年2歳の誕生日を迎える孫の健やかな成長にも夢と期待をかけている。「這えば立て立てば歩めの親心」ならぬ「祖父母心」になってしまうが、職員からは「今日も孫の入浴介助ですか?」と冷やかしにも顔をニヤつかせ、一日の疲れを癒してくれる「孫とジィジ」との入浴を続けようと思っている。
安全かつ有効なコロナワクチンや治療薬の出現を期待しつつ、今年も初笑いで、明るくゆきたいものです。
偏屈者の八五郎が新年の賀詞を述べにやって来た。減らず口をたたけば鬼も黙るという口達者に、家の主人が吹っ掛ける。
「よく来たハチ公。フグでも食おう!」
「俺は食わぬ!」実は八五郎、フグの毒にあたらないかと怯えているのである。
「怖いか?」
「怖くない!。食べ慣れていないものだから!。その代わり、足が4本のものなら、なんでも食べる」と言う。「牛でも馬でも、なんでも!」
にやりとした主人は、ここぞとたたみかける。
「それなら、炬燵にも足が4本ある。これを食ってみろ!」
八五郎も簡単には引き下がらない。
「食わないこともないが・・・」と得意の減らず口で切り返している。
「食わないこともないが、炬燵だけに『あたる』といけねぇ。 解かったかなァー・・・。
(1月3日、産経抄より)
家族皆で卓を囲み、おせちをつつく。「三密」を気にせず、ニューイヤー駅伝、箱根駅伝をテレビで見ながら家に来た年賀状を改め、ミカンの皮をむき、集まった親類縁者と談笑のうちに三が日を過ごす。新年は炬燵からという時代が懐かしい。
「つくづくと ものの始まる 炬燵かな」(東の芭蕉、西の鬼貫と呼ばれた江戸中期の俳人・上島鬼貫の作品より)
伊藤 克之