お休み処「わびすけ」

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「浅草サンバカーニバル」

今回は、8月23日(土)に東京の下町浅草で開催された「サンバカーニバル」を観て来たお話をしたいと思います。何故かと申しますと、いつもお世話になっている先生が出場していたことと、一度自分の目で本場のサンバを観てみたかったためです。DSC_0113DSC_0118

台東区浅草寺周辺で開かれたカーニバルには、1チーム平均300人(年輩者~児童まで)のダンサーがラッパや太鼓のリズムに合わせて情熱的な踊りを披露し、たくさんの沿道の観衆を魅了していました。DSC_0072

参加されているチームの話では、大使館勤務の方や医師に看護師、サンバの本場である外国人ダンサーもこの日のために来日しているとか…。また、各チームはボランティア活動として福祉施設等への訪問もされているそうです。DSC_0099

「浅草でサンバ」という話しを最初に聞いたときは、聞き間違えたのか?と思いましたが、今年で33回を迎えるのだそうです。どうして浅草でサンバ?…と、知りたくなって調べてみました。DSC_0130

浅草でサンバをするきっかけは、浅草といえば「江戸下町情緒」「粋」というイメージがありますが、実は大の「新しもの好き」なのが浅草ッ子なのだそうです。明治時代には日本最初の映画館や、日本で初めてエレベーターを取り付けた12階建ての赤レンガビル「凌雲閣」、水族館、サーカスなど、浅草には他の町にはない新しい文化がどんどん取り入れられてきました。 また、大正時代になると「大正オペラ」や「安来節」で賑わい、幅広いジャンルの音楽劇を生み出してきました。 歌って、踊って、楽しむサンバカーニバルと浅草の結びつきはすでにこの頃からあったようです。 そうした背景のなか、昭和30年代後半から40年にかけて、盛り場の中心は、他の地区に移っていきました。 このような状況の中で当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージをつくるお祭りとして、ブラジルのサンバカーニバルを浅草で開催することを提案し、これをきっかけに浅草の商店連合会が主体となって浅草観光連盟にも呼び掛け、浅草サンバカーニバルは誕生しました。こうして浅草サンバカーニバルは産声を上げ、東京下町の夏を代表するお祭りのひとつにまで成長したという訳です。 現在では、出場するチームも全国区のものとなり、またサンバの本場、ブラジルの人たちからも非常に高い評価をいただいているそうです。DSC_0145

薀蓄はこの位にして、皆様も是非一度「浅草サンバカーニバル」ご覧になってみては如何でしょうか?色とりどりの羽根飾りを付けたダンサーの華麗なステップに大迫力の演奏がきっとやみつきになるかも…ヽ(^o^)丿 (リポーターは石田忍でした!)DSC_0061DSC_0035