北の大地・北海道。私はこの地を枚挙にいとまがない程訪れている。かつて北海道の大学で教職の立場であった頃、家族旅行、同窓会の旅行等々である。しかし、何故か「釧路湿原」だけは行ったことがなかった。絵葉書やパンフレットを眺めては、そこに行くことを長年夢に見ていた。そこで、「秋休み」と表現したほうが良い程時期外れの遅い夏季休暇をとって、私は北海道・道東への旅に出ることを思い立った。台風18号の後始末を終え、「骨休めにはちょうどいいかな?」とも思ってまだ見ぬ憧れの地への訪れを心待ちにしていた。ところが湘南地方を直撃した台風18号より勢力の強い台風19号が接近し、不幸なことに台風18号とほとんど同じコースを辿っているではないか。台風19号の被害を心配しつつも、私は滅多にとれない休暇を消化しようと、信頼できる職員に留守を託して、一か八かの旅行を決行した。
10月12日、ANA375便は羽田空港を15分遅れでオホーツク紋別空港に向けて出発した。機長は機内アナウンスで「この遅れはできる限り取り戻す予定」と言っていたが、1本しかない滑走路に着陸した時は25分以上も遅れていた。この辺りからが今回の旅行の不幸の始まりだったような気がするのである。しかし着陸寸前に見えた大雪山連峰はすでに冠雪しており、上から眺める大雪山は素晴らしい景観であった。
紋別空港で出迎えてくれたのは、北紋バスのガイドさんであった。私には「ホクモン・バス」がどうしても「獄門バス」と聞こえてならなかった。なぜならば、ガイドさんは「巨人の星」に出てくる「左門豊作」を女性にして、小さめの制服を無理やり着せたような人だったからである。機長のアナウンスと言い、バスガイドさんの容姿と言い、私は何故かこれからの旅行に一抹の不安と寂しさを感じざるを得なかった。
サロマ湖、能取湖を左に見ながら、サンゴ草の群生を見学させられ、着いたところが海産物の土産品店であった。次に向かったのが「博物館・網走監獄」である。50年前にも私は観光で網走刑務所を訪れているが、その時はある検事さんの紹介状を持っていたので、普段観光客が入れない赤いレンガ造りの正門の中まで入れてもらうことができた。今回は当時の刑務所の一部を移設した博物館であったので、獄舎の中まで入り、詳しい説明案内まで受けることができた。私が講義を受け持っていた大学の近くにも「樺戸集冶監」や「月形刑務所」があり、何度か訪れているので、私には刑務所が何故か身近に感じられる。しかし、いくら刑務所に縁があるといっても、ここに入所しようとは思わない。話は逸れるが、私は東京御茶ノ水にある明治大学内の「拷問資料館」もいつか見学したいと思っている。
北国の日没は早く網走監獄博物館を出たころには、あたりはもう薄暗くなっていた。秋の陽はツルベ落とし、第1日の宿泊地・屈斜路湖に向かう道路中ほどにある美幌峠に差し掛かる頃には、あたりは漆黒の闇でどこを走っているのか、どこに連れてこられたのか全く解らなかった。晴れた日の美幌峠は、眼下に屈斜路湖が望め、素晴らしい景色だったことを覚えている。
二日目も曇り。早朝に屈斜路湖を出発し、野上峠を越えて知床に向かった。途中屈斜路湖の白樺が紅葉しており、道路両側の景色は最高であった。斜里、ウトロを抜け、知床五湖の一湖を見物した。どんより曇った知床五湖の駐車場が使用できるのは今年は今日が最後、明日から来年の雪解けまでクローズとのことで滑り込みセーフであった。しかし昼食をとった「さいはて市場」では、しけのためウニが採れないとのことで楽しみにしていた海鮮丼は食べられず、泣く泣くイクラ丼で我慢する。サービスは悪くても、値段は高かった。
再びUターンをして知床峠に向かう。知床峠は風が強く、ひどく寒い。しかし霞んでいる国後島をかすかに望むことができた。早々にバスに戻り、野付半島のトドワラに向かう。ここから国後島までの距離は16km、したがってロシア国境までの距離は8kmしかないそうである。漁師さんたちが漁場で苦労されていることが伺い知れた。ちなみにトドワラとはトドのエサではなく、トド松の枯れたものを指すのだそうである。ぼちぼち辺りは暗くなり始めた。雨もポツポツ降り出してきた。摩周湖から10kmも離れているのに「摩周湖・道の駅」と名付けられた道の駅には足湯が設置されていた。「摩周湖・道の駅」には役場の職員が地熱発電を利用してLEDのイルミネーションを点灯させ、周囲の樹木を満艦飾に引き立たせていた。二日目の宿泊地・阿寒湖に向かう阿寒横断道路は、名前は格好いいが、周囲は真っ暗闇で、くねくねと曲がりくねり、ドライバーの腕だけが頼りの怖い道路であった。阿寒湖畔のホテルでは暖房を入れざるを得ないほど寒く、とても露天風呂に入る勇気は湧いてこない。また、湘南地方の台風状況が気になり、テレビを一晩中つけっぱなしにし、問い合わせには携帯電話を多用して、少しでも台風状況を把握するとともに、明日からの自分たちの行程、スケジュールに対する不安を払拭しようと努力することにした。夕飯に毛ガニを注文すると、茹でた毛ガニと鋏だけがドーンと出てきて中の身を食べられるようにするまでには二、三十分の作業が必要であった。我々は黙々とこの作業を続けた。おかげでアイヌ古潭のイヨマンテショーにも行けず、千本松明の行進も見ることができなかった。一晩中テレビに噛り付いていたおかげで睡眠不足の朝を迎えざるを得なかった。マリモを買ってきて、ういすたりあにある金魚の水槽に入れようと思ったが、マリモが金魚の糞で汚れると止められ、諦めることにした。
翌日は遠くに丹頂鶴を眺めながら待望の釧路湿原に向かった。「湘南地方は台風19号の影響はたいしたことはなかった」との報告を受けていたが、今度はこちらが心配である。果たして飛行機は飛ぶのであろうか、風雨はだんだん強くなってきている。気温は10度を下回り、海は大しけ、場所によっては降雪のニュースが流れている。釧路湿原展望台に着くと、風雨はさらに強くなり、湿原がどこにあるのか全く見当がつかなかった。釧路湿原の思い出は、公衆便所で用を足した事のみであった。
最後の見学地、摩周湖第一展望台に着いても冷たい雨は降り続け、上から見る摩周湖はただの濁った大きな水たまりに見えた。諦めて根室中標津飛行場に向かった。最後の添乗員の挨拶がこの最悪の旅行の止めを刺した。「最後に告白しますが、実は私、雨女どころか暴風雨女なんです。最近では熊本に添乗した時、台風の接近で1日の延泊を強いられ、知床のウトロ温泉では3日も延泊しました。でも温泉地の延泊は楽しいですよネ」私は「それを旅行前に言え!フザケルナ!」と言いたい衝動に駆られた。果たせるかな、中標津空港では飛行機の到着が遅れ、機材整備にも手間取り、出発が40分も遅れた。さらに上空は気流が悪く、飛行機は大きく揺れた。
こうして私の長年の夢は台風19号、ブスのバスガイド、暴風雨女の添乗員等々のために大きく崩れ去った。しかし、私はもう一度釧路湿原は訪れてみたいと思う。元気であれば可愛い孫と一緒に・・・
伊藤 克之